2016年8月15日月曜日

R.I.P.

今朝,悲しいニュースが舞い込んで来ました。
クラフトビアアソシエーション(日本地ビール協会)の小田良司会長が69歳で逝去いたしました

思えば,クラフトビールが日本で解禁になった1994年当時,学生だった僕はすでにビールに関心を持っていて,翌95年以降,学会だなんだで全国さまざまな土地に行っては,その土地の地ビールを楽しんでいたりしました。今世紀になった頃から,恵比寿で開催されていた協会主催のビアフェス東京なんかにお客さんとして参加していたし,ビアテイスターやビアジャッジなどという資格にも関心を持ちました。ただ,結構出費もかかるので,40代になったらジャッジ取得を目的としてテイスターの資格を取る,という約束をヨメとも交わしていたわけです。

で,40歳になった2008年,念願のビアテイスターの資格を取得し,この年の後半くらいから,ボランティアとしてビアフェスや協会が主催する審査会の手伝いなどもさせていただくようになりました。その後,ビアジャッジにも認定していただき,国内外の審査会で審査に加わらせていただくことができました(ジャッジ認定試験の直前,会長に「頑張ってください」と肩をつかまれたのはかなりのプレッシャーだったけど…)。最初に海外での審査を経験させていただいたのは,2012年のシンガポールでしたが,この時もきっかけは小田会長からの1本の電話でした。

そう,会長からの重要な連絡は多くの場合,携帯への電話でした。

そんな僕の人生が大きく舵を切ったのは,翌2013年の9月25日のことでした。出張で沖縄にいた僕の元に小田会長から1本のメールが入りました。その日は何故か電話ではなく,メールでした(だから日付まではっきりと記録が残っているというわけ)。メールにはこう書かれていました。

小嶋さん
お疲れさまです。

ビアテイスターセミナーの講師をしませんか??

短いメールでしたが,僕はすぐに返事をして,田村功先生が講師を務めるセミナーを二度ほど聞かせていただいた後,その年の12月21日に横浜でビアテイスターの講師を初めて務めさせていただきました。それ以降,都合の合う時は,東京または横浜で講師をさせていただいていますし,最近ではビアジャッジセミナーの講師まで担当させていただいています。

もちろん,僕の本当の仕事はビールとは一切関係がないし,セミナーの講師も仕事ではなく,実は自分にとってもある種のトレーニングだと思ってやらせていただいているところが大きいです。実際,毎回講師として参加している自分もそれなりに新しいことに気づいたり,自分の能力を確かめたりすることができます。ある意味,究極のOJTということもできると感じています。

僕の人生がこれだけ大きく変わったのも,僕にこれだけのチャンスを与えてくれたのもすべて小田会長の一言があったからです。そして小田会長のおかげでたくさんの人に出会えたし,その人のつながりがかけがえのない財産になっています。

あのメールだけではありません。小田会長から直接いただいた言葉,電話での長い会話,思い出すといろいろなことが脳裏に浮かびます。

最後にお会いしたのは,今年の4月,横浜で行なわれたAsia Beer Cup 2016(ABC2016)のバックヤードでのことでした。僕は審査委員長の一人として審査は行なわず,審査がスムーズに進むよう調整するなど,審査会場の裏に詰めていました。小田会長は闘病中で弱々しくは見えましたが,会場までお越しになり,我々とも言葉を交わしてくださいました。会長が僕のことを手招きで呼ぶので,近づいていくと,ABC2016のジャッジ紹介用のリーフレットを指差し,僕に話しかけました。

  会長:小嶋さん,ペン,あるか?
  ボク:これ,使ってください。
  会長:(少し書き込んでから)これな,ここんとこ,このままじゃまずいからな,
     次から直しといて。

と訂正の指示。そう,会長はいつでも真剣でした。日本のクラフトビールをどう支えていくか,どう変えていくか,いつも真剣だったのだと思います。その真剣さやまっすぐさが,時に衝突を生むこともあったと思いますが,そのまっすぐな思いが,今の日本のクラフトビールシーンを支える大きな原動力になったことを疑うことはできないと思います。しかし,それにしても,次回,9月に行なわれる審査会で上のように指示された訂正を活かす前に会長を失うことになろうとは,この時僕は微塵も思っていませんでした。

一人の人の存在が,我々の暮らしを大きく変えることがある。
そして一人の人の死が,我々の暮らしを大きく変えることもある。
それでも地球は回るし,時は過ぎ行く。僕らの生活は続いていく。
今日も明日も,日本中で,いや世界中で,多くの人が昨日までと同じようにクラフトビールを楽しむことだと思います。

残された僕らにできることは何か?僕らが向かうべきところはどこか?
大きな存在を失くしても,僕らがなすべきことは,これまでと同じように生活し,これまでと同じように仲間と力を合わせて,これまでと同じようになすべきことをなすことだと思っています。僕らには会長のおかげで出会えたたくさんの仲間がいるし,かけがえのない人と人とのネットワークがある

僕らは力を合わせて,小田会長が生きていたら続けていたであろうことを続けていこう。
時には僕ら自身のエッセンスも加えながら,一歩一歩前へ進んでいこう。

その先に,僕らを含む世界の人たちがクラフトビールを楽しむことができる世界があるはずだ。そこに向かって歩いていこう。

小田会長,会長が成し遂げたかったこと,目指したことには,我々が力を合わせてチャレンジしようと思います。じれったくて,ツッコミを入れたいとき,ダメ出しをしたいときは,いつもと同じように携帯に電話してください。

9月には横浜でInternational Beer Cup 2016が開催されます。日本中,世界中からブルワーやジャッジが集まります。物理的に小田会長の姿が見えなくても,我々はこれまでと同じように真剣にビールと向かい合い,さらなる国際交流を深めたいと思います。

日本の,アジアの,そして世界のクラフトビアシーンがさらなる発展を遂げることを祈って。

Here's to our memories of Mr. Ryouji Oda. 

献杯。

さて,今宵は何を呑もうか?


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