2015年2月21日土曜日

各駅停車の旅

時々思うこととがある。学生はどうして学校に来るのだろう?

社会へ出るための一ステップとして,いわゆる学歴を求めて来るのか?
世の中にはそういうところもあるだろう。残念ながら,カネさえ払っていれば,卒業できて学歴が手に入るような学校も世の中にはないことはない。

ただ,ウチのガッコの場合は,ちょっと違う(と思いたい)。
少なくとも僕らは,エンジニアリングの現場で役に立つ知識や技術,考え方,学び方,問題を解決するためのアプローチ,そういうものを学生には学んでほしいと思っている。
公式にも非公式にもそれを謳っているし,そのために教える我々の側も努力を続けている。
教える側も学ぶ側も,地道に時間と手間をかけて小さなものを一つずつ積み上げていくことが要求される。

そういう意味では,金払って切符さえ買えば,終着駅までまっすぐ連れて行ってくれる特急列車ではなく, 各駅停車で毎回途中下車するような地味で地道なルートを辿るようなものだといえる。

この地道なルートを進むには気力根気が求められる。
ただ,その道を進むことによって,人は成長するものなんだとも思う。

まぁ,機械の体を求めて乗った少年を大人に変えてくれた超特急,なんてのもあったわけだが…

おっと,話がそれた。

ウチのガッコの場合,15歳で入学してきて,20歳で卒業するわけで,単に年齢だけの問題ではなく,人間として一回りも二回りも成長して社会に出ていく学生たちも少なくないし,そういう卒業生たちを見ていると,頼もしくも感じる。

そんな各駅停車で学ぶものの中には,基本中の基本として,学生がきっちり身につけなければならないものもあるわけだが,すべてがすべてそうとは限らない。
考え方はさまざまだと思うが,特に僕なんかが担当している一部の専門科目の中には知識や技術の基礎をきっちり教えるというよりは,経験値を身につけるというか,経験することが大事,というものもある。

そういうものの場合,例えば,試験のために何かを暗記するようなことは無意味で,むしろそんな揮発性の高い短期記憶に頼って欲しくはない。
そうではなく,15回なら15回の授業の中で,なんとなくこんなことやったよなぁ,とか,コジマがこんな話してたよなぁ,とか,こんな本使ってたよなぁ,とか,そういうことが学生時代の記憶の中に刻まれればいいんじゃないかと思うわけ。

実際,自分が学生時代にもそういう経験は数多くあって,というか,学生時代に学んだ専門科目の多くがそういうものだったりして,本当にその後の自分の仕事であったり研究であったりに必要なものは,そんな学生時代の記憶を紐解きつつ,改めて自分で勉強し直したものが少なくない。

すなわち,そんな専門科目の中で身につけるものは何かというと,社会に出た後に必要になったとき,自分の記憶の引き出しを開けて辿れることができるようなインデックスを身につけること,つまり自分の記憶を検索して,容易に思い出すことができる程度の「経験知」を得ることなんじゃないかと思う。もちろん,インデックスを辿って学び直す力が必要なことは言うまでもないが。

誤解がないように言っておくが,すべての専門科目がこうだというわけじゃない。
あくまでも,中にはそんなものもあるだろ,という話。
学科によっても程度の差があるだろうしね。

ま,というわけで,僕の担当しているいくつかの科目の中にはそういうものがあって,そのつもりで授業をしている。だから試験なんかにおいても,いたずらに暗記させるようなことはしていないわけだ。

特に最終学年の5年生の科目や専攻科の科目はそんな性格が強い。

ところがだ,そんな僕の担当したある科目の話。
暗記することに意味はないけれども,結構手間のかかる計算も必要だったりするので,試験は紙媒体の資料はすべて持込み可とした。過去問はウェブで事前公開。授業でも毎回演習問題をやって,試験問題のレベルもそれを大きく逸脱しない。60分の試験だが,いくら複雑な計算が必要だとはいっても,僕自身が解いたらせいぜいものの10分か15分あればコンプリートできる。(もちろん,経験の差はある。)

結果として,満点とかほぼ満点という学生もいる一方で,30点とか40点とかいうのもいたりする。
さすがにこれでは経験知が得られているとは言えない。

資料の持込み可,ということは試験時間の中で記憶を辿って,必要な材料を資料の中から検索できる程度の知力が必要なわけだが,結果として40点以下,なんて学生はその程度の検索する力すらついていない。

申し訳ないが,残念ながらこれでは単位は出せない

もちろん,教えるこちら側にも反省点がないわけではない。
だけどね,学ぶ側の姿勢の問題もあるだろ。

甘く見られちゃ困る。

地味でもこつこつやろうぜ。

というわけで,ちょっと残念な思いをしたもんで,久々にボヤいてみました。

今年も,学生たちが卒業していく。
そして4月からはまた新しい1年が始まる。

学生たちはどんな列車に乗り込むんだろう?
人間として成長させてくれる各駅停車か?底なしの底へ向かう片道切符か?
決めるのは乗客本人だ。

少なくとも,列車が停まった駅で,
僕らはできる限りの手助けをする準備はあるつもりだ。


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