2014年9月5日金曜日

因果

学生のレポートとか論文を添削していて,時々思うことがある。

○○である,と断定しているけど,何で?

実験の結果,○○であることがわかった,と書いてあるけど,どうして?

ものすごく断定的に結論付けているけれども,その直接的な原因は,どこにも書いていない。

学会の論文誌とか国際会議に投稿された論文を査読する場合でも,同じような状況に出くわすことがある。

特に科学や工学の世界では, 誰が同じ実験や観察を行なっても,同じ結果が得られるという客観性が重要視されることは,昨今の報道で,誰しもが実感しているのではないか?断定的な命題を述べるとき,実験や観察の結果,何かを結論付けるとき,それを読んだ誰しもを納得させるような理由が書かれていることが必要であることは当然だ。

そうでなければ,その結論自体が誤りであったり,ひいてはねつ造である疑いを持たれても致し方がないだろう。

実は同じことは,日常の生活の中でも経験することがある。

子供が学校からもらってくる連絡やプリント。

△△までに○○してください。

◇◇までに○○を提出してください。

…なんで??

誰もが即座に納得できるほど明らかなことならば,まぁかまわない。ただ,少し突飛な内容だったり,一般的とは思えない場合,やはり理由の説明って必要だろう。この例だけではなく,説明が足りなくて,不満を覚えるケースは決して少なくない。

口述の場合と違って,文章で表現する場合,書き手の表情や感情は決して見えてこない。いかにも日本人的な

なんとなく,わかるでしょ?

一切通用しないと思った方がいい。重要な物事を伝えるとき,相手がどの程度理解してくれるか,どのように思うか,ということをよく想像して気配りすることが必要だと思う。伝える側には,それ相応の想像力,ないしは,ある種の緻密さが要求されるのではないか?

基本は相手のことをよく考える気持ち,自分がそれを受け取ったらどう思うか,ということに関する感受性の問題ともいえる。これって,一般的な「マナー」の話にも通じる。

電子メールやSNSのように顔が見えない媒体の場合は特にそうだ。

自分も背筋を伸ばさなくちゃいけないと思うけれど,これを読んでドキッとした人は,少し,慎重に行動した方がいいかも。

最後に "Think and Grow Rich" で知られる米国の著述家,ナポレオン・ヒルの言葉を紹介しておく。(あんまりこういう成功哲学とか自己啓発的な本は好きじゃないけど。)

Think twice before you speak, 
because your words and influence will plant the seed of 
either success or failure in the mind of another.