2009年6月8日月曜日

○○世代?

先週の土曜日の朝刊になりますか。おおよそ次のような記事が新聞紙上にありました。

・文部科学省が,大学院博士課程の定員削減などを求める文科相名の文書を送付。
・各大学に,中期計画の素案にこれに対する対応を含めて提出するよう要請。
時事通信社毎日新聞朝日新聞読売新聞など)

これ何ですかね? ゆとり教育の問題もそうだけど,問題が散見したら,ポリシーも何もなく掌を返す態度には憤りも覚えますね。
どうせ,オーバードクターやポスドク増加の問題を受けてパッチを充てたのだとは思いますが,こんなのは最初からわかっていたことでしょ? 大学等の教員は経費削減の下,減少傾向にある。一方で大学で学位を取る学生の数は増えている。積極的に博士の学位を持っている学生を取ろうという企業がその格差を埋めてあまりあるほど多いなら別だが,そのような傾向もない。当初から予想できたこと,当初から数多くの指摘があったことだと思います。一方で,学位は取ったものの仕事がない,あるいは任期付きのポスドクのポストを転々とするなどと言った,「博士難民」とでも呼ぶべき層が激増していることも確かでしょう。かくいうボクも,何とか定職にありついているわけですが,ドクターコースの最後の年,博士論文をまとめていた年に,11月に入るまで,仕事は決まっていませんでした。まぁ,最後は,当時バイトしていた民間の専門学校にでも拾ってもらえるかとは思っていたくらいです。
そもそも,子供の数は減っているわけで,いわゆる「能力のある」学生の比率が一定であると仮定すると,潜在能力の高い学生の数も減っているはず。その上で大学院の定員を増やしたということは,能力の低い学生を多く入れているということ。これは間違いのない事実です。だから,博士の学位を取った学生が増えたといっても,定員増の影響を受けて数の論理で学位をとった「なんちゃって博士」が増えていることも十分予想される。まぁ,自分も「なんちゃって博士」だと言われても困るんで,これはちょっとおいといて......
学生の人数が増えることで,教育の質も低下することが十分考えられます。本来手厚く育てるべき,才能溢れる学生にも十分な教育サービスが提供できないような状況が大学教育の現場では起きているのではないだろうか?物量作戦的な政策の影響が,本来博士の学位を取るはずもないような学生に背伸びをさせて苦労させているだけでなく,優れた研究者として独り立ちさせるべき学生への教育の質の低下を招いていることにもならないだろうか?という危惧があります。論文の査読なんかをしていても,ドクターコースの学生が書いたと思われる論文で,明らかに指導教員が目を通しておらず,論文の体をなしていないようなものも時々見かけますしね。まぁ,その原因はこの問題だけではないかもしれないけれど。
以前,ボクのところにある学生が(高専生ですよ),こういう相談をしに来ました。

「先生,博士号を取っても仕事がないっていう話をよく聞くんですが,実際どうなんですか?」

と。だから,自分の経験とか友人の話とか,いくつか例を挙げて話したけれど,最後は自分の意志の問題で,どのくらい研究者としてやっていく意志が強いか,どのくらい魅力を感じているか,そしてどのくらい覚悟があるか,ってことだと思うよ,という話をしたと思います。世の中の状況に左右されるんじゃなく,自分がどう考えるかってことだと。
しかしですねぇ,学生に,しかも非常に優れた学生にこんな思いをさせてはいけませんよ。研究者になりたいと思わせるくらいでないと。行政がするべきことは,研究者が魅力的なものであると感じさせるように後方支援を行うことであって,若い優れた学生の夢を潰すことでも,芽を摘むことでもないはずです。優れた研究者を増やそう,発掘しようと思ったら,入学枠を増やすのではなくて,研究職が魅力的で憧れの職業になるようなそんな施策を国が行うべきなんです。子どものなりたい職業の上位にスポーツ選手とか美容師なんかと並んで「博士」とか「大学教授」なんてのが入ってこないとダメなんだと思いますよ。結婚するとき,「あんまりお給料高くないってことね」なんて言われているようじゃダメだ!(←何だそこかよ。)
それにしても,後から歴史を振り返ったときに,この辺の大学院定員問題のことをどう振り返るんですかね? こういう施策に右往左往させられた世代のことを何と呼ぶんだろう? 今,博士の学位をとって,仕事がなかったりポスドクで食いつないでいるのが30ちょい前か30前後に多いとすると.....いわゆる松坂世代??.......
まぁ,こういう現状を踏まえて,現場の我々にできることは何か,といったら,学生たちに自分が活き活きと研究活動をするところを見せることくらいなんでしょう。「あぁ,こんな仕事だったら自分もしてみたいなぁ。」という錯覚をほんの何秒かだけでも見せられるように,僕らは努力すべきなんでしょうね。疲れた,疲れた,とか,寝てない,寝てない,などとばかり言っていてはいけないわけだ。猛省。

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